あのしごきをくれた時のことを、面白く詳しく話して、陽気に浮かれていた方が好い、他人《ひと》に話すに惜しい晩であった、と、これまでは、其の事をちびり、ちびり思い出しては独り嬉しい、甘い思い出を歓《たの》しんでいたが、斯う打《ぶ》ち壊されて、荒されて見ると大事に蔵《しま》っていたとて詰らぬことだ。――あゝそれを思えば残念だが、何うせ斯うなるとは、ずっと以前「直ぐ行って聞いて見てやった。」と言った時から分っていたことだ、と種々《いろん》なことが逆上《こみあが》って、咽喉の奥では咽《むせ》ぶような気がするのを静《じっ》と堪《こら》えながら、表面《うわべ》は陽気に面白可笑く、二人のいる前で、前《さっき》言った、しごきをくれた夜《よ》の様を女の身振や声色まで真似をして話した。

[#地付き](明治四十三年四月「早稲田文学」)



底本:「黒髪・別れたる妻に送る手紙」講談社文芸文庫、講談社
   1997(平成9)年6月10日第1刷発行
底本の親本:「日本現代文学全集45 近松秋江・葛西善蔵集」講談社
   1965(昭和40)年10月
※作品名は底本の親本では『別れた妻に送る手紙』ですが、「本書
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