少し興を催して、
「性格! ……性格なんて、君は面白い言葉を知っているねえ。」と世辞を言った。――兎に角漢語をよく用いる女だった。
そうして私は、唯柔かい可愛らしい精神《こころ》になって、蒲団を畳む手伝いまでしてやった。
他の室《へや》に戻ってから、
「また来るよ。君の家は何という家?」
「家は沢村といえば分ります。……あゝ、それから電話もあります。電話は浪花のね三四の十二でしょう。それに五つ多くなって、三四十七、三千四百十七番と覚えていれば好いんです。」と立ちながら言って疲れて、顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》の辺《ところ》を蒼くして帰って行った。
私は、何だか俄かに枯木に芽が吹いて来たような心持がし出して、――忘れもせぬ十一月の七日の雨のバラ/\と降っていた晩であったが、私も一足後から其家《そこ》を出て番傘を下げながら――不思議なものだ、その時ふと傘の破れているのが、気になったよ。種々《いろん》な屋台店の幾個《いくつ》も並んでいる人形町の通りに出た。湿《しっ》とりとした小春らしい夜であったが、私は自然《ひとりで》にふい/\口浄瑠璃を唸りたいような気になって、すしを摘もうか、やきとりにしようか、と考えながら頭でのれん[#「のれん」に傍点]を分けて露店の前に立った。
その銭《かね》が入ったら――例の箱根から酷《きび》しくも言って来るし、自分でも是非そのまゝにしている荷物を取って来たり、勘定の仕残りだのして二三日遊んで来ようと思っていたのだが、私はもう箱根に行くのは厭になった。で、種々《いろいろ》考えて見て箱根へは為替で銭を送ることにして、明日の晩早くからまた行った。そうして此度は泊った。――斯ういう処へ来て泊るなんということは、お前がよく知っている、私には殆ど無いと言って可い。
続けて行ったものだから、お宮は、入って来て私と見ると、「さては……」とでも思ったか「いらッしゃい。」と離れた処で尋常に挨拶をして、此度上げた顔を見ると嬉しさを、キュッと紅《べに》をさした脣で小さく食い締めて、誰れが来ているのか、といったような風に空とぼけて、眼を遠くの壁に遣りながら、少し、頸を斜《はす》にして、黙っていた。その顔は今に忘れることが出来ない。好い色に白い、意地の強そうな顔であった。二十歳《はたち》頃の女の意地の強そうな顔だから、私には唯美しいと見えた。
私は可笑くなって此方《こっち》も暫く黙っていた。けれども、私はそんなにして黙っているのが嫌いだから、
「そんな風をしないでもっと此方《こっち》においで。」と言った。
待っている間、机の上に置いてあった硯箱を明けて、巻紙に徒《いたず》ら書きをしていた処であったから机の向《むこう》に来ると、
「宮ちゃん、之れに字を書いて御覧。」
「えゝ書きます。何を?」
「何とでも可いから。」
「何かあなたそう言って下さい。」
「私が言わないったって、君が考えて何か書いたら可いだろう。」
「でもあなた言って下さい。」
「じゃ宮とでも何とでも。」
「……私書けない。」
「書けないことはなかろう、書いてごらん。」
「あなた神経質ねえ。私そんな神経質の人嫌い!」
「…………。」
「分っているから、……あなたのお考えは。あなた私に字を書かして見て何うするつもりか、ちゃんと分っているわ。ですから、後で手紙を上げますよ。あゝ私あなたに済まないことをしたの。名刺を貰ったのを、つい無くして了った。けれど住所《ところ》はちゃんと憶えています。……××区××町××番地雪岡京太郎というんでしょう。」
斯様《こん》なことを言った。私に字を書かして見て何うするつもりかあなたの心は分っています、なんて自惚《うぬぼれ》も強い女だった。
その晩、待合《うち》の湯に入った。「お前、前《さき》入っておいで。」と言って置いて可い加減な時分に後から行った。緋縮緬の長い蹴出しであった。
尚お他の室《へや》に行ってから、
「宮ちゃん、お前斯ういう処へ来る前に何処か嫁《かたづ》いていたことでもあるの?」
と、具合よく聞いて見た。
「えゝ、一度行っていたことがあるの。」と問いに応ずるように返事をした。
日毎、夜毎に種々《いろん》な男に会う女と知りながら、また何れ前世のあることとは察していながら、私は自分で勝手に尋ねて置いて、それに就いてした返事を聞いて少し嫉《ねた》ましくなって来た。
「何ういう人の処へ行っていたの?」
「大学生の処へ行っていたの。……卒業前の法科大学生の処へ行っていたんです。」
私は腹の中で、「へッ! 甘《うま》いことを言っている。成程本郷の女学校に行っていた、というから、もしそうだとすれば、何うせ野合者《くっつきもの》だ。そうでなければ生計《くら》しかねて、母子《おやこ》相談での内職か。」
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