かし》い。長田の編輯している日曜附録に、つまらぬことを書かして貰って僅かばかりの原稿料を、併も銭に困って、一度に、月末まで待てないで、二度に割《さ》いたりなどして受取っているのだが、分けても此の頃は種々《いろん》なことが心の面白くないことばかりで、それすら碌々に書いてもいない。けれども前借をと言えば、仮《よ》し自分が出社せぬ日であっても、これまで何時も主筆か編輯長に当てゝ幾許《いくら》の銭を雪岡に渡すように、と、長田の手紙を持ってさえ行けば、私に直ぐ受取れるように、兎に角気軽にしてくれている。然るに、仮令銭は渡せない分とも、その銭は渡すことならぬ、というその銭は、何ういうつもりで書いたのだろう? 自分は平常《ふだん》懶惰者《なまけもの》で通っている。お雪を初めその母親《おや》や兄すらも、最初こそ二足も三足も譲っていたものだが、それすら後には向からあの通り遂々《とうとう》愛想を尽かして了った。幾許自分にしても傍《はた》で見ているように理由《わけ》もなく、只々懶けるのでもないが、成程懶けているに違いない。長田は国も同じければ、学校も同時に出、また為《し》ている職業も略《ほ》ぼ似ている。それ故此の東京にいる知人の中でも長田は最も古い知人で、自分の古い頃のことから、つい近頃のことまで、長田が自分で観、また此方から一寸々々《ちょいちょい》話しただけのことは知っている。長田の心では雪岡はまた女に凝っている、あの通り、長い間一緒にいた女とも有耶無耶《うやむや》に別れて了って、段々詰らん坊になり下っている癖に、またしても、女道楽でもあるまい、と、少しは見せしめの為にその銭は渡すこと相ならぬ、という積りなのであろうか。それならば難有い訳だ。が、否《いな》! あの人間の平常《ふだん》から考えて見ても、他人《ひと》の事に立入った忠告がましいことや、口を利いたりなどする長田ではない。して見れば、此の、その銭は渡されぬという簡単な文句には、あの先達ての様子といい、長田の性質が歴然《ありあり》と出ている。これまでとても、随分向側に廻って、小蔭から種々な事に、ちびり/\邪魔をされたのが、あれにあれに、あれと眼に見えるように心に残っている。此度はまた淫売のことで崇られるかな、と平常は忘れている、其様《そん》なことが一時に念頭に上って自分をば取着く島もなく突き離されたその上に、まだ石を打付《ぶッつ》
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