どもそれまでの私の仕打に就いては随分自分が好くなかった、ということを、十分に自身でも承知している。だから今話すことを聞いてくれたなら、お前の胸も幾許《いくら》か晴れよう。また私は、お前にそれを心のありったけ話し尽したならば、私の此の胸も透《す》くだろうと思う、そうでもしなければ私は本当に気でも狂《ふ》れるかも知れない。出来るならば、手紙でなく、お前に直《じか》に会って話したい。けれどもそれは出来ないことだ。それゆえ斯うして手紙を書いて送る。
 お前は大方忘れたろうが、私はよく覚えている。あれは去年の八月の末――二百十日の朝であった。お前は、
「もう話の着いているのに、あなたが、そう何時までも、のんべんぐらりと、ずる/\にしていては、皆《みんな》に、私が矢張《やっぱ》しあなたに未練があって、一緒にずる/\になっているように思われるのが辛い。少しは、あなただって人の迷惑ということも考えて下さい。いよいよ別れて了えば私は明日の日から自分で食うことを考えねばならぬ。……それを思えば、あなたは独身《ひとりみ》になれば、何うしようと、足纏いがなくなって結句気楽じゃありませんか。そうしている内にあなたはまた好きな奥さんなり、女なりありますよ。兎に角今日中に何処か下宿へ行って下さい。そうでなければ私が柳町の人達に何とも言いようがないから。」
 と言って催促するから、私は探しに行った。
 二百十日の蒸暑い風が口の中までジャリ/\するように砂|塵埃《ぼこり》を吹き捲って夏|劣《ま》けのした身体《からだ》は、唯歩くのさえ怠儀であった。矢来に一処《ひとところ》あったが、私は、主婦《おかみ》を案内に空間を見たけれど、仮令《たとい》何様《どん》な暮しをしようとも、これまで六年も七年も下宿屋の飯は食べないで来ているのに、これからまた以前《もと》の下宿生活に戻るのかと思ったら、私は、其の座敷の、夏季《なつ》の間《ま》に裏返したらしい畳のモジャ/\を見て今更に自分の身が浅間しくなった。それで、
「多分|明日《あす》から来るかも知れぬから。」
 と言って帰りは帰ったが、どう思うても急に他《ほか》へは行きたくなかった。というのは強《あなが》ちお前のお母《っか》さんの住んでいる家――お前の傍を去りたくなかったというのではない。それよりも斯うしていて自然に、心が変って行く日が来るまでは身体を動かすのが怠儀で
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