をそれまでに羨まれたと思えば却って長田の心が気の毒なような気も少しは、して、それから、そういう毒々しい侮辱の心持でしたと思えば、何だかお宮も可哀そうな、自分も可哀そうな気分になって来た。私はそんなことを思って打壊された痛《つら》い心と、面と向って突掛《つっかか》られる荒立つ心とを凝乎《じっ》と取鎮めようとしていた。他の二人も暫時《しばらく》黙って座が変になっていた。すると饗庭が、
「あゝ、今日会いましたよ。」と、微笑《にこにこ》しながら、私の顔を見て言う。
「誰れに?」と、聞くと、
「奥さんに。つい、其処の山吹町の通りで。」
 すると長田が、横合から口を出して、「僕が会えば好かったのに。……そうすれば面白かった。ふゝん。」という。私は、それには素知らぬ顔をして、
「何とか言っていましたか。」
「いえ。別に何とも。……唯皆様に宜《よ》く言って下さいって。」
 すると、また長田が横から口を出して、
「ふゝん。彼奴《あいつ》も一つ俺れが口説いたら何うだろう。はゝッ。」と、毒々しく当り散す。
 それを聞いて、仮令口先だけの戯談《じょうだん》にもせよ、ひどいことを言うと思って、私は、ぐっと癪に障った。今まで散々|種々《いろん》なことを、言い放題言わして置いたというのはお宮は何うせ売り物買い物の淫売婦《いんばい》だ。長田が買わないたって誰れが買っているのか分りゃしない。先刻《さっき》から黙あって聞いていれば、随分人を嘲弄したことを言っている。それでも此方《こちら》が強いて笑って聞き流して居ようとするのは、其様《そん》な詰まらないことで、男同士が物を言い合ったりなどするのが見っともないからだ。
 お雪は今立派な商人《あきんど》の娘と、いうじゃない。またあゝいう処にも手伝ってもいたし以前|嫁《かたづ》いていた処もあんまり人聞きの好い処じゃなかった。あれから七年此の方、自分と、彼《ああ》なって斯《こ》うなったという筋道を知っているが為に、人を卑《さげす》んでそんなことを言うが、仮令見る影もない貧乏な生計《くらし》をして来ようとも、また其の間が何ういう関係であったろうとも、苟《かりそ》めにも人の妻でいたものを捉《つかま》えて、「彼奴も、一つ俺が口説いたら何うだろう。」とは何だ。此方で何処までも温順《おとな》しく苦笑で、済していれば付け上って虫けらかなんぞのように思っている。いって自分の
前へ 次へ
全59ページ中57ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
近松 秋江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング