さよなら! じゃ、いらっしゃいな! 切りますよ。」と、向から言うと、私が、「あゝもし/\。もし/\。宮ちゃん宮ちゃん、一寸々々《ちょいとちょいと》。まだ話すことがあるんだよ。」と何か話すことがありそうに言って追掛《おっか》ける。終《しまい》にはわざと、両方で、
「左様なら!」
「さよなら!」
 を言って、後を黙《だま》あっていて見せる。私は、お宮の方でも、そうだろうと思っていた。
 そうして交換手に「もう五分間来ましたよ。」と、催促をせられて、そのまゝ惜しいが切って了うこともあったが、後には、あと[#「あと」に傍点]からまた一つ落して、続けることもあった。白銅を三つ入れたこともあれば、十銭銀貨を入れたこともあった。私は、気にして、始終《しょっちゅう》白銅を絶やさないようにしていた。
 珍らしく一週間も経って、桜木では、此の間のようなこともあったし、元々|其家《そこ》は長田の定宿のようになっている処だから、また何様《どん》なことで、何が分るかも知れないと思って、お宮に電話で、桜木は何だか厭だから、是非何処か、お前の知った他の待合《うち》にしてというと、それではこれ/\の処に菊水という、桜木ほどに清潔《きれい》ではないが、私の気の置けない小《ちさ》い家があるから、と、約束をして、私は、ものの一と月も顔を見なかったような、急々《せかせか》した心持をしながら、電話で聞いただけでは、其の菊水という家もよく分らないし、一つは沢村という家は何様な家か見て置きたいとも思って、人形町の停留場で降りて、行って見ると、成程|蠣殻町《かきがらちょう》二丁目十四番地に、沢村ヒサと女名前の小い表札を打った家がある。古ぼけた二階建の棟割り長屋で、狭い間口の硝子戸をぴったり締め切って、店前《みせさき》に、言い訳のように、数えられるほど「敷島」だの「大和」だのを並べて、他に半紙とか、状袋のようなものを少しばかり置いている。ぐっと差し出した軒灯に、通りすがりにも、よく眼に付くように、向って行く方に向けて赤く大きな煙草の葉を印《しるし》に描《か》いている。「斯ういう処にいて働《かせ》ぎに出るのかなあ!」と、私は、穢《きたな》いような、浅間しいような気がして、暫時《しばらく》戸外《そと》に立ったまゝ静《そっ》と内の様子を見ていた。
「御免!」
 と言って、私は出て来た女に、身を隠すようにして、低声《こごえ
前へ 次へ
全59ページ中52ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
近松 秋江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング