《やう》に懷しがるのも無理はない。東京や横濱さへも知らず、中には小田原あたりさへ、生れて一度か二度しか活動寫眞の芝居を觀にいつたことがないくらゐ、生れてから死ぬる迄一生山の中を降りてゆかず、明神ヶ岳の麓から朝に夕に駒ヶ岳や早雲山にかゝる雲を眺めて暮らす彼女等にとつては、わづか一里にも足らぬ山の上に來てゐながら親里が死ぬほど戀しいのである。夏場の急がしい最中を働くと、八月の末にはもう暇をもらつて歸つてゆくことばかりを考へてゐる。そして客の減つてゆくにつれて彼等も一人づつ下つてゆく。
 山は靜かに暮れていつた。冷いくらゐの涼味は茶屋が軒先の筧の水から湧いて、清水に涵《ひた》した梨の味にも秋はもう深かつた。私はそこから遠い新道を迂囘するか、或はすぐそこの庭先から急坂を攣ぢて辨天山の脇の舊道を登つて歸つて來る。尾花が長く穗を抽いて道の兩脇から夕暮の中に微白く搖いでゐる。部屋にかへつて、手拭をさげて浴室へおりてゆくと懷かしい硫黄の香が鼻を衝いてくる。人によつてはこの硫黄の香をひどく嫌ふ者があるが、私にはそれが何とも云へずなつかしい。朝目覺めて楊枝を啣へて浴室に入つてゆく時、昨夜の夢の名殘りを洗ひ
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