。私は苅萱の穗波をわけて雲霧の美しい好晴の日には必ずそこまで登つていつた。鷹巣山は昔し小田原北條氏の出城のあつた跡と言ひつたへられてゐる。白茅ばかりおひ茂つたその山の背を淺間山、城山、湯坂山と、どこまでも傳うてゆくと一里半ばかりで徑は獨りでに湯本まで通じてゐる。湯本から蘆の湯に達するにはこの道を往くのが最も捷徑である。これは湯坂道といつて、昔の間道である。秋晴の日などに展望を恣にしやうと思ふなら、その峯を傳うてゆくに越したことはない。湯本から順路を宮の下に取つてゆくと、溪ばかりを往くことになつて眺望が利かない。然るに鷹巣山の背を歩いてゆくと、殆ど箱根山彙の全景を双眸に集めることができる。
 それから前いつた道に戻つて小涌谷におりてゆく臺の茶屋から小涌谷の平、二の平、強羅の平を越して遠く明神ヶ岳に溪の底に群つてゐる宮城野の村を見下ろしたのも懷かしい。池尻か、臺の茶屋に熄ひながら初秋の冷涼そのものゝ如き梨の汁を啜りつゝ、すぐ眉の上に聳つ鷹巣山と峯つゞきなる宮の下の淺間山と二の平と強羅の傾斜との彼方に早川の溪が抉つたやうに深く掘れてゐる。その上に明神ヶ岳は屏々として、濃藍色に暮れてゆかうとし
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