から礼をいったが、そうしてむざむざ人の楽しみにさしておくのを承知しながら、今すぐにも自分の方へ取り戻すことの出来ぬのが堪えがたい不満であり、今までの長い間の、とてもいうに言えない自分の、その女のために忍んで来た惨憺《さんたん》たる胸中を考えれば考えるほど、そんな破滅になってしまったのがあまりに理不尽であるように思えてどうしたらこの耐えがたい胸を鎮めることが出来るかと思った。それとともに、向うの人間にどれだけの恩義を被《き》ているか、それは分らないにしても、またたとい、はたして彼女のいうことを信じて母親に対して生《な》さぬ仲の遠慮ということを認めるにしても、あまり女の心のいい甲斐《がい》なさと頼りなさとが焦躁《もどか》しかった。そしてその向うの人間というのは、いつか彼女が自分で話して聴かした去年の二月にも病気の時引かしてやろうといい出したその人間のことであろう。その人間ならば決してそう深いわけはなかったはずである。それにこの間の夜松井の女主人《おんなあるじ》のところへたずねて往って会った時の話にも、こんど病気でいよいよ廃業する時にももう女の身に付いた借金というほどのものもなかったというし
前へ
次へ
全99ページ中50ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
近松 秋江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング