はほかのことは思いまへん。これがわたしのところの伜であったら、わたしはどないな気がするやろと思うと、この胸が痛うなります」婆さんは、そういいながら、さもさも胸の痛みに触るように皺だらけの筋張った顔を一層|顰《しか》めて、そっと胸に手を当てる形をした。「あんたはんはそりゃ、御自分の好きな女子《おなご》のために勝手に自分の身を苦しめておいでやすのやろさかい、ちっとも私、構いまへんで。そやけど親御の身になったら、どないに思うか。わたしは、あんたはんの顔を見るのが辛い。もう、わたし、あんたはんがここの路次へ入って来るのを見るのが厭どす。見とうない、見せておくれやすな」
 婆さんは一人で、きかぬ気らしく頭振《かぶ》りを振りながら言い続けるのである。私は、揉手《もみで》をせんばかりに、はいはいして、
「あなたのおっしゃることは、一々御もっともです。けれども私にとってはまた一と口に申すことの出来ない深いわけがあるのですから……」
「ああいや、もう、そのわけがようない。それは聴かいでもわかってます。まあ、伜が何んとか埒《らち》のつく話をしていますやろ。どうぞ遠慮せんと待っといでやす」いくらか気を鎮《し
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