「内の伜《せがれ》は年はまだ若うおすけどな、こんなことには私がよう仕込んでますよって、おためにならんようには取り計らいまへんやろ」とどこまでも偉い者のようにいう。
 しかし私は、女さえ自分の物になるならば、どこまで阿呆《あほう》になっていても辛抱できるだけ辛抱する気で、婆さんが、どんなに偉そうなことをいったり、凄まじい気焔《きえん》を吐いても、ただ「へいへい」して、じっと小さくなってそこに坐っていた。そして、今のこのざまが、見も知らぬ人間の前でなかったならば、自分にはとても、こうして我慢していられないであろうと思うと、それが東京と遠く離れた京都の土地であるのが、せめてもの幸いであった。婆さんはむずかしそうな顔をして膳《ぜん》の上の肴《さかな》をつつきながら、ぶつぶつひとり言をいうように、
「まだどこのどなたとも一向お名前も承わりまへんけど、出ている者に金を取られるということは、世間に何ぼもあるならいどすよって、……茶屋の行燈《あんどん》には何と書いておす、え、金を取ると書いておす。こうお見受けしたところ、あんたはんも、まんざら物の出来《でけ》んお方でもおへんやろ。向うは人を騙《だま》さ
前へ 次へ
全99ページ中35ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
近松 秋江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング