上げて来て、熱い玉のような涙がはらはらと両頬《りょうほお》に流れ落ちた。そして神経がむやみに昂《たかぶ》って、胸の動悸《どうき》が早鐘を撞《つ》くようにひびく。寒い外気に触れて頬のまわりに乾きつく涙を、道を行く人に憚《はばか》るようにしてそっと拭《ふ》きながら、私は心の中で、
「やっぱり初めからあすこにいたのだ。それを、あの母親の言うことにうまうまと騙《だま》されて、ありもせぬ遠くの方ばかし探していた。今のところに変って来る前|先《せん》の時もあの路次にはもういないというから、そうかと思っていると、やっぱりあすこにいたのであった。今度もまたそうであった。一度ならず二度までも軽々と、あの母親のいうことを真実《ま》に受けて、この貴重な脳神経を、どんなに無駄《むだ》に浪費したか知れぬ」と、口惜《くや》しさと憤《いきどお》りとがかっとなるようであった。
それから二、三日の間はつとめて心をほかのことに外《そ》らして気を慰め、神経を休めてから今度はよほどの強い決心をしてまたその路次に入って行った。そして入口の潜戸のところに立って引っ張ってみたが、やっぱり昼間でも中から錠を下ろしていると思われて開
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