る、自分のこの切なる心を到底察してくれない。そんな他人に同情してもらったり、憫《あわ》れんでもらったりしようとはかけても思わぬ。自分の大切な大切な魂の問題である。そのためによし病《わずら》って死んだって、また恥ずべき名が世間に立とうとも自分ひとりのことである。何人にもどうしてくれといいたくない。それゆえにこそ、実に一口に言おうとて言えないくらい、さまざまに胸の摧《くじ》ける思いをして、やっと今晩という今晩、またと得られない機会を捉《とら》えてこうして女の家に入り込んだのである。今までの母親の仕打ちからいったならば、この機会を逸したが最後二度と再びこんな好い都合なことはないのである。私は隣家《となり》の主人に向っていった。
「有難うございますが、今までちょいちょい御覧のとおりの次第で大抵私の恥かしい事情はお察しであろうと思いますが、今晩はどうあっても、この本人の意向を、私自身で訊《き》きたいと思っているのですから」
と、私は、傍でさっきから口の絶え間もなく狂犬のように猛《たけ》っている母親には脇眼もくれず、向うに静かにして坐っている女を指しながら堅い決意を表わした。そうして久しぶりに見れ
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