たが、先《せん》だって中《じゅう》からまたたびたび私が出かけていって、母親と大きな声でいい諍《あらそ》ったりするのを見かねて、もう七十余りにもなる主人の母親というのが双方の仲に入って、ちょっと口を利きかけていたのであった。旅館や貸席などの多いその一郭を華客先《とくいさ》きにして、そこの家では小綺麗な仕出し料理を営んでいたが、兄さんと呼ばれた主人はまだ三十五、六の背の高い男で、その主人とは私はまだ顔を見ただけで一度も口を利いていなかった。母親がそういって大きな声で呼んだので、越前屋《えちぜんや》という仕出し屋の若い主人は印の入った襟のかかった厚子《あつし》の鯉口《こいぐち》を着て三尺を下の方で前結びにしたままのっそりと入って来た。
 そうして吟々いっている母親と私とのまん中に突っ立ったまま、「まあまあ、どちらも静かにおしやす」と、両方の掌《て》で抑える形をして、
「ちょうど好いとこどした。此間《こないだ》から私も見て知らん顔はしていましたけど、一遍お話を聴いてみたいと思うてたのどす」といって、そこに腰を下ろすと、母親は隣りの主人が入ってきたので気が強くなって、一層がみがみ言い募った。主人
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