りながら、
「あッ、そうだったか、若奴さんとはちょっと気がつかなかった。あんたがあんまり好い芸妓《げいこ》さんになったもんだから、そういわれるまでどうしても思い出せなかった」そういって、私はまた彼女の顔をしみじみと見ていた。ほんとに四、五年前見ていた時分とはまるで比べ物にならぬくらい美しい女になっているのに私は驚いたのであった。
 女主人は機嫌好げに彼女の顔と私の方とを交《かわ》る交《がわ》る見ながら、
「ほんまに好い芸妓《げいこ》さんになりゃはりましたでっしゃろ。この妓《ひと》にも、好きな人がひとりあるのっせ」と、軽く弄《からか》うようにいうと、若奴は優しい顔に笑窪《えくぼ》を見せて羞《はず》かしそうにしながら、両掌《りょうて》で頬のあたりを擦《こす》って、
「ほんまにあのころはよう寄せてもろていましたなあ」
と、過ぎ去った時分のことを思いうかべるような顔をしている。私もそれにつれてそのころのことがまた思い起されるのであった。
 涼しい加茂の河原にもうぽつぽつ床《ゆか》の架かる時分であった。春の過ぎてゆくころからほとんど揚げつめていた女がだんだん打ちとけてくるにつけて、
「なあ、へ、内に、わたしの妹のようにしている可愛い芸者がひとりあるのっせ」というから、
「へえ、どんな芸者」と訊くと、
「そりゃ可愛い芸者。まだ十四どっせ」
「十四になる芸者、そんな若い芸者があるの。舞妓《まいこ》じゃないの」
「ちがいます。芸妓どす」
「おかしいなあ。なぜ舞妓にならないんだろう」
「さあ、そなことどうや、わたしようわけは知りまへんけど、初めから芸者で出てはります。そりゃ可愛《かわい》かわい人どっせ、あんたはんに一遍|招《よ》んでもろとくれやすいうて、わたし内の姐《ねえ》さんから頼まれていました」
 そういうので、招んでみると、女のいうとおりまだ子供の芸者であった。それから後も時々女と一緒に来て方々外に連れて歩いたりしていたが、あれからずっと見なかったので、まるで別な女になっていた。私は、自分の女のことを、あまり正面から女主人に切り出すのをきまりわるく思っていたところへまたそんなほかの者が傍に来たのでいよいよいい出しかねていたが、若奴とちょうどそんな話になったので照れ隠しのように、
「若奴さん、ほんとに美《い》い芸妓さんになったなあ」と私はまたつくづくとその容姿《すがた》に見入りながら、
「こんな別嬪《べっぴん》になるんだと知っていたら、あんな薄情な女に生命《いのち》を打ち込んで惚《ほ》れるんじゃなかった」
と、わざといって笑っていった。
 すると女主人は、自然にそっちへ話を向けてきて、
「お園さんにお会いやしたか」といって訊いた。
「ええ此間《こないだ》初めて一遍会いました」
「病気はどうどす。わたしも一遍見舞いにいこういこう思うて、ねっからよういきまへん」
「病気はもう大したこともなさそうです。一体不断から病人らしい静かにしている女ですから」
 すると若奴も傍から、
「ほんまにそうどす。お園さんはおとなしい人どしたなあ。姐さんあんな静かな人おへんなあ」
 私はだんだん話をそっちへ進めて、
「病気で気が変になったというのは、あれは真実《ほんとう》なのですか」といって女主人に訊ねた。
「そりゃ本間《ほんま》どす」と女主人は真面目《まじめ》な顔になって、「初めは私たちも熱に浮かされてそんなことをいうのか思うていましたが、そのころ病気の方はもうとうに良うなって、熱もないようになっているのに異《ちご》うたことをいい出したので、さあ、これは大変なことになった思うて心配しました。……あんたはんもよう知っといやすとおり、あの人たち母子《おやこ》二人きりどすさかい、同じ病気になるのやったかてまだお母はんの方やったら困っても困りようがちがいますけど、親を養わんならん肝腎《かんじん》の娘が病気も病気もそんな病気になってしもうてどうしようもなりまへんもんどすさかい。……そりゃ気の毒どした。あれで一生あのとおりやったら、どないおしやすやろ思うて心配していましたけど、それでもまあ早う良うおなりやして結構どす。一時はどないなるか思うてたなあ」女主人はそういって若奴の方を振り返って見た。
 若奴は同情するような眼をしてうなずきながら、
「ほんまに気の毒どしたわ。皆なほかの人面白がって対手にしてはりましたけど、姐さんわたし何もよういえしまへなんだ。顔を見るさえ辛うて」
「そうやった。眼が凄《すご》いように釣《つ》り上がって、お園さんのあの細い首が抜け出たように長うなって、怖《こわ》いこわい顔をして」
 私はそうであったかと思いながら、
「そんなにひどかったのですか」
といっていると、女主人は私の方をじっと見ながら、
「あんたはんよっぽどお園さんに酷《ひど》いことをおいいや
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