称を今でもなお口にして太夫《こったい》といっているのであった。
電話で訊くと、今すぐならいるというので夜遅く遠くから急いで行ってみると、今まで内にいたがまたどこかへ出て往ったというよっなことがあって、私はほとんど耐えがたい屈辱を感じていたが、彼らの前にはどんなに馬鹿になっていても、それほど苦痛とも思わなかった。
そのうち女の居所が知れて、本人の心の奥底も分り幾らか自分にも心に張合いか出来たせいか、今までよりも少し勇気づいて、たとい効《かい》のないことにしてももとの女主人のところにもいって話してみようという気になって、また電話で都合を訊くと、「今晩は内にいやはりますよってどうぞ来ておくれやす。太夫《こったい》がそういうてはります」という、いつにない女衆《おなごしゅ》が気の軽い返事である。もっともその二、三日前に私はちょっとした物を持って、ただ入口まで顔を出したのであった。十二時近くになると花見小路の通りは冬の夜ながら妓共《こども》の送り迎えに、またひとしきり往来の人脚がつづいて、煌々《こうこう》としている妓楼の家の中はちょうど神経が興奮している時のように夜の深《ふ》けるに従って冴《さ》え返っている。その家の入口に立って訪《おとな》うと、今度はいつもとちがった小婢《おちょぼ》が取次ぎに出て、一遍奥に引き返したが、すぐまた出て来て、丁寧に、
「どうぞお通りやして」
といって、玄関から畳敷きの中廊下を伝うて、ずっと奥の茶の間に案内していった。八畳に六畳ばかりの二間つづきの座敷の片隅には長火鉢を置いて、鉄瓶《てつびん》にしゃんしゃん湯が煮立っている。女主人はその向う側に座を占めていた。見たところそこは多勢の抱妓《こども》たちをはじめ家中の者の溜り場にしてあると思われて縁起棚《えんぎだな》にはそんな夜深けでもまだ宵《よい》の口のように燈明の光が明るくともっていて、眩《まぶ》しいような電燈の灯影《ほかげ》の漲《みなぎ》ったところに、ちょうど入れ替え時なので、まだ二人三人の妓《こ》たちが身支度をして出たり入ったりしている。
私は心の中で今日は不思議に調子が柔かいなと思いながら、座敷の入口の方でわざと腰を卑《ひく》うしていると、女主人はわだかまりのない物の言い振りで、
「さあ、ずっとこちらへお越しやす」
と、年はもう五十の上を大分出ていると聞いているにもかかわらず、声はまだ、まるで二十《はたち》余りの女のように柔和である。顔から容姿《すがた》から、とてもそんな年寄りとは思えない。これがその昔祇園街で全盛を誇った薄雲太夫の後身かと思うと、私は妙な好奇心にも駆られながら、そう打ち融けた言葉をかけられたのを機会《しお》に、
「は、どうぞ、ご免なさいまし」
といって、さっと起って長火鉢のこちら側まで進んで小婢《おちょぼ》のなおした座蒲団の上に坐った。
色気のない束髪に結って、何かしら野暮な物を着た大柄で上品に見える女主人は柔和な顔で、二、三日前に持っていった物の礼をいったり、今までいつ訪《たず》ねて往っても留守がちであったりしたことを言って「こんな商売をしてますよって、朝は遅うおすし、昼からは毎日お詣《まい》りにゆくか、そでなけや活動が好きでよう活動見に往きますよって、いつも夜の今時分からでないと家《うち》にいいしまへんもんどすさかい」と、若い声でいっていた。
私は、多年情海の波瀾《はらん》を凌《しの》いで来た、海に千年山に千年ともいうべき、その女主人と差し向いに坐っていると、何だか、あまりに子供じみた馬鹿らしいことをいい出すのが気恥かしいようで、妙に自分ながら硬《かた》くなって口ごもっていると、そこへ外から今帰ったらしい若い妓《おんな》が一人出てきて、
「ただ今」といいながら長火鉢の傍に寄った。
女主人はそっちを向いて、
「おかえりやす」と返事しながら何か二言三言話していたが、また私の方を見て、
「あんたはん、この妓《ひと》を知っといやすやろ」という。
私はちょっと思い出せないので小頸を傾けながら、その妓の顔をまじまじと見ていると、向うではよく知っていると思われて、
「よう知っています」といいながら、私の顔を見て笑っている。十八、九ばかりの小柄な妓《おんな》であるが口元などの可愛い、優しい容姿《すがた》をしている。女主人も笑いながら、
「なあ、よう知ってやすはずどすがな」といって、私の顔を見ている。
私はこんな美しい妓《こ》に知っていられる覚えがないというよっに、なおもしきりに頭を傾けていると、女主人が、
「お園さんと一緒にようあんたはんに招《よ》ばれて往かはりましたがな、若奴《わかやっこ》さんどすがな」といったので、私はやっと思い起した。そして四、五年前に較《くら》べると全く見違えるほど成人した若奴の大人びた容姿を呆れたように見まも
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