したんやなあ」とたずねるようにいう。
「どうしてです?」
「あんたはんの手紙に警察へ突き出すとか、どうとかするようなことをいうてあったと見えて、そのことをいつもよういうてました。ほかの者警察のことも巡査のことも何も言うておらんのに、お園さん、そら警察から私を連れに来た、警察が来る警察が来るいうて、警察のことばかりいうていました。よっぽどあんたはんの手紙に脅かされたものらしい」
 彼女の言葉は婉曲《えんきょく》であるが、その腹の底ではお園が精神に異状を呈したのも大根《おおね》の原因《もと》は私からの手紙に脅迫されたのだと思っているらしい口振りである。

     八

 なるほどそう思われるのも全く無根の事実でもない。去年の春まだ私が東京にいて京都に来ない時分、もう何年にかわたるたびたびの送金の使途について委《くわ》しい返事を聞こうとしても、いつも、柳に風と受け流してばかりいて少しも要領を得たことをいってよこさなかったので、随分思いきった神経質的な激しいことを書いて怨んだり脅かしたりするようなことをいってよこしたのは事実であった。けれども、そんなことは他人に打ち明かすべきことでないから、自分ひとつの胸の底に深く押し包んでいたけれど、それほど気に染《そ》んで片時も思い忘れることの出来ない女を、一年も二年もじっと耐《こら》えて見ないでいて、金だけは苦しい思いをしてきちんきちんと送ってやり、ただわずかに女からよこす手紙をいつも懐《ふところ》にして寝ながら逢いたい見たい心の万分の一をまぎらしていたのではないか。あらゆる永遠の希望や目前の欲望を犠牲にし、全力を挙げてその女を所有するがために幾年の間の耐忍辛苦を続けて来たのである。自分でも時々、
「ああ馬鹿らしい。こんなにして金を送ってやっても、今時分女はよその男とどんなことをしているか……」
と、それからそれへ連想を馳《は》せると、頭がかっと逆上して来て、もういても起《た》ってもいられなくなり、いっそこの金を持って、これからすぐ京都へ往って、あの好きな柔和らしい顔を見て来ようかと思ったことが幾たびであったか知れなかったが、その都度、
「いやいや、往って逢いたいのは山々であるが、今の逢いたさ見たさをじっと耐えていなければ、この先きいつになったら首尾よく彼女を自分の物にすることが出来るか、覚束《おぼつか》ない」
 そう思い返しながら、われとわが拳固《こぶし》をもって自分の頭を殴《なぐ》って、逸《はや》り狂う心の駒《こま》を繋《つな》ぎ止めたのであった。けれども、さすがの私も、後にはとうとう隠忍しきれなくなって、焦立《いらだ》つ心持をそのまま文字に書き綴《つづ》ってやったのである。女の方でも、こちらの心持はよく知っているので、手紙でいってやることを、ただ何でもなく聞いているわけにはいかなかったのである。それがために気が狂ったといえば当然のようでもあるがまた可憐《かれん》なような気もする。
 私は何となく女主人《おんなあるじ》の顔から眼をそらしながら、
「脅かしたわけでもなかったんですが、私にしてもあれくらいのことをいう気になるのも無理はないと思うんです。……」と、私はいいなして、後をすこしくいい澱《よど》んでいたが、彼女がもうここにいなくなったのであるから、今となってそれをいったところで、格別女主人の気を悪くさする気づかいもないと思ったので、自分がとうから女の借金を払って商売の足を洗わすつもりであったことを話して、
「こんなことはもう幾十たびとなく知り飽きていられるあなたがたに向って今さらこんな土地にありうちの話をするも愚痴のようですけれど、そのために、私はとても一と口や二た口にいえない苦心をして来たのです」
 私はもっぱら女主人の同情に訴えるつもりで肺腑《はいふ》の底から出る熱い息と一緒にかこち顔にそう言った。いくら冷淡と薄情とを信条として多勢の抱妓《かかえ》に采配《さいはい》を揮《ふ》っているこの家の女主人にしても物の入りわけはまた人一倍わかるはずだと思ったのであった。すると彼女は今まで話していた調子とすこし変って、冷嘲《れいちょう》するような笑い方をしながら、
「あんたはんそんなことをおいいやしたかて、お園さんにはもうずっと前から三野村さんという人がおしたがな。三野村さんが今まで生きとったらとうに夫婦になってはる」
 遠慮もなく、ずばりといい放った。それを聴くと私はぐさりと心臓に釘を刺されたようにがっかりした。が、そんな深くいい交わした男があるのも知らずに、自分ひとりで好い気になって自惚《うぬぼ》れていたと思われるのがいかにも恥かしいので、強《し》いてそんな風を顔色に出さないようにしながら、私はややしばらくいうべき言葉もなかったが、やがてわざと軽い調子で、
「ええそんなことも少しは知らぬで
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