売の邪魔になるようなことをしたりするのであった。
 女主人は、それでも私が長居をしていろいろ話をしている間にいくらかこちらの心中がわかって来たようであったが、いくたびも澱《よど》むように私の顔をじっと見ながら、
「今やからあんたはんに言いますけど、真相《ほんとう》はこうやのどす」といって、なお委《くわ》しく話して聞かせたところによると、こうであった。
 母親や女主人から、三野村のような男にいつまでも係り合っていては後の身のためにならぬと喧《やかま》しくいうのと、お園自身でだんだんそれとわかって来て、その後自分の方からはなるたけ男に遠ざかるようにしていたのであった。するとちょうどそのころ初めて私と知るようになった。その年春の終りから夏の半ばまで三月ばかりもいて私が東京に帰ってからも引きつづき絶えず手紙の往復をしているうち、秋になって女から急に体の始末について相談をしかけて来た。もちろんそのことはこちらから進んでそうするつもりであったから、こちらでも必死になって金の工夫をしてみたけれどついに思うだけの金は出来なかった。それで、自分の方ではそう急にといってはとても金の策はつかない。はなはだ残念であるが、やっぱりかねて約束しておいたとおり早くてもう半年くらいはどうしても待っていてもらわなければならぬ。それでも是非とも今に今身を退《ひ》かねばならぬという止《や》みがたい事情でもあるなら、ほかにしかたがない、その場合に処すべき非常手段について参考となるべきことを細かに書中にしてやったのであった。そして彼女からの手紙は来るたびごとに切なくなって、ひたすら不如意の身の境遇をかこち歎いていた。こちらからそれに応《こた》えてやる手紙もそれに相当したものであった。
 三野村は、前にしばらく、祇園町から程近い小堀の路次裏に母親がひとりで住んでいるころそこの二階に同居していたこともあったくらいで、そこから他へ出ていってからもやっぱり時々母親のところへ訪ねて来ていたが、ある日母子二人とも留守の間に入って来てそこらを掻き探しているうちにふと私からやった手紙の蔵《しま》ってあったのを目つけて残らず読んでしまった。それには、抱えぬしのひどく忌むようなことが書いてあった。それまであるじから敵《かたき》のように遠ざけられていた三野村は好い物を握ったと小躍《こおど》りして悦び、早速それを持って往って、

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