れ》を思っていたか。その人間などはまだそうして傍に置いとくことが出来ただけでも埋め合せがつく」私は溢《こぼ》すようにいうのであった。
「三野村さんのようここでお園さんが傍にいるところでいうてはった。……頼りない女や。私が京都にいるからこうしているようなものやけど、東京の方にでも往ってしまえばそれきりやいうて、始終頼りない女やいうてはりました」
「ほんとにそのとおりだ。そしてお園は傍で聴いていて何というのです」
「お園さんただ黙って笑い笑いきいているだけどす。……ほて、そんなに惚れているくせにまた二人てよう喧嘩をする。喧嘩ばかりしていた。三野村さんよう言うてはりました。姉さん、ああして私のところへ遊びに来てくれるのはええが、顔さえ見ればいつでも喧嘩や。そしてしまいにはやっぱり翌日《あくるひ》までお花をつけることになるから来てくれるたびに金がいって叶《かな》わんいうてはりました。お園さんの方でもほんよう喧嘩をして戻ってかというのに、やっぱり戻らない、喧嘩をしながらいつまで傍についている」
そういって、女主人がなおつづけて話すのでは、ずっと先のころひとしきりあまりにお園の方から男のところに通うて行くので女主人が気に逆らわぬように三野村のところへ遊びにゆくのもよいが両方の身のためにならぬからあまり詰めて行かぬようにしたがよいといっていい含めたのであった。するとちょっと見はおとなしいようでも勝気のお園はそれが癪《しゃく》に触ったといって一月ばかりも商売を休んでいたことがあった。その後も三野村のことで時々そんなことがあった。女主人と同じように彼女の母親もそんな悪足《わるあし》のような男がついているのをひどく心配して二人の仲を切ろうとしていろいろ気を揉《も》んでいた。それでしばらく三野村との間が中絶していたこともあったが、男の方でどうしても思いきろうとしなかった。いろいろに手をかえて母親の機嫌を取ろうとすればするほど母親の方では増長して彼をさんざんにこき下ろすのであった。そして一度でも文展に入選したら娘をやってもよいとか、東京から伴《つ》れて来ている女と綺麗に手を切ってしまえば承諾するとか、その場かぎりの体《てい》の好いことをいっていた。そして母親や女主人の方で二人の間を堰《せ》くようにすればするほど三野村の方で一層躍起になってお園が花にいっている出先までも附き纏《まと》うて商
前へ
次へ
全50ページ中44ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
近松 秋江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング