、われとわが拳固《こぶし》をもって自分の頭を殴《なぐ》って、逸《はや》り狂う心の駒《こま》を繋《つな》ぎ止めたのであった。けれども、さすがの私も、後にはとうとう隠忍しきれなくなって、焦立《いらだ》つ心持をそのまま文字に書き綴《つづ》ってやったのである。女の方でも、こちらの心持はよく知っているので、手紙でいってやることを、ただ何でもなく聞いているわけにはいかなかったのである。それがために気が狂ったといえば当然のようでもあるがまた可憐《かれん》なような気もする。
 私は何となく女主人《おんなあるじ》の顔から眼をそらしながら、
「脅かしたわけでもなかったんですが、私にしてもあれくらいのことをいう気になるのも無理はないと思うんです。……」と、私はいいなして、後をすこしくいい澱《よど》んでいたが、彼女がもうここにいなくなったのであるから、今となってそれをいったところで、格別女主人の気を悪くさする気づかいもないと思ったので、自分がとうから女の借金を払って商売の足を洗わすつもりであったことを話して、
「こんなことはもう幾十たびとなく知り飽きていられるあなたがたに向って今さらこんな土地にありうちの話をするも愚痴のようですけれど、そのために、私はとても一と口や二た口にいえない苦心をして来たのです」
 私はもっぱら女主人の同情に訴えるつもりで肺腑《はいふ》の底から出る熱い息と一緒にかこち顔にそう言った。いくら冷淡と薄情とを信条として多勢の抱妓《かかえ》に采配《さいはい》を揮《ふ》っているこの家の女主人にしても物の入りわけはまた人一倍わかるはずだと思ったのであった。すると彼女は今まで話していた調子とすこし変って、冷嘲《れいちょう》するような笑い方をしながら、
「あんたはんそんなことをおいいやしたかて、お園さんにはもうずっと前から三野村さんという人がおしたがな。三野村さんが今まで生きとったらとうに夫婦になってはる」
 遠慮もなく、ずばりといい放った。それを聴くと私はぐさりと心臓に釘を刺されたようにがっかりした。が、そんな深くいい交わした男があるのも知らずに、自分ひとりで好い気になって自惚《うぬぼ》れていたと思われるのがいかにも恥かしいので、強《し》いてそんな風を顔色に出さないようにしながら、私はややしばらくいうべき言葉もなかったが、やがてわざと軽い調子で、
「ええそんなことも少しは知らぬで
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