かりが見つかるかも知れない。そう思って、その家へ電話をかけて女主人の都合を問い合わすと、いつも留守という返事であった。彼女が勤めていた時分にも電話をかけると、定《きま》って、女衆《おなごしゅ》の声で冷淡に、
「今留守どす」というのがそこの家の癖で、あんな不愛想なことでよく商売が出来ると思うくらいであったが、女衆の返事では、女主人は昼間から外に出て夜の九時か十時ごろでなければ帰らぬという。それがいつ訊《たず》ねても同じことなので、三度に一度は私ということを知ってわざと嫌《きら》ってそういわしているのかも知れないと疑ってみたりした。頭《てん》から会うのを嫌っているくらいなら会ったところで奥底のない話をしてくれるはずもない。先の女主人が私を向うに廻しているくらいなら女の話はもう所詮《しょせん》駄目と思わなければならぬ。そう思うと私はますますどこへ取りつく島もないような気がして、どっちを向いても京都の人間は揃《そろ》いもそろってよくもこう薄情に出来ているものだ、いっそ自分の名も命も投げ出して、憎いと思う奴《やつ》らをことごとく殺してやろうか、残らず殺すことさえ出来れば殺してやるんだがと思ったこともあった。けれどもそれもならず、女主人に会って見たならばと思う望みも絶えて、消え入るような乏しい心地になっていた。それでもどうかしてはまたたまらなくなって、どんな羞《はじ》を忍んでも厭《いと》わないから、一度会ってこちらの悲しい真心を立ち割って話して見たならば、いかに冷淡無情を商売の信条と心得ている廓者《くるわもの》でも、よもやこちらの赤誠が通じないことはあるまい。そう思い返して時々電話をかけて都合を訊いたり、自分で入口まで出かけて往ったことも一度や二度でなかったが、小面《こつら》の憎い女衆《おなごしゅ》はよく私の顔を覚えていると思われて、卑下しながら入口に立った私を見ると、わざと素知らぬ振りをして狭い通り庭の奥の方で働いていた。そして幾度も案内を乞《こ》うと、やっと渋々出て来て、「太夫《こったい》どすか、今いやはりゃしまへん」といって、それっきり中戸の奥にまた引っ返ってしまうのであった。
女主人は今から二十年ほど前まで祇園で薄雲太夫《うすぐもだゆう》といって長い間全盛で鳴らしたもので、揚屋の送り迎えに八文字を踏んで祇園街を練り歩いていたそのころ廓の者が太夫を尊敬して呼び習わした通
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