「内の伜《せがれ》は年はまだ若うおすけどな、こんなことには私がよう仕込んでますよって、おためにならんようには取り計らいまへんやろ」とどこまでも偉い者のようにいう。
 しかし私は、女さえ自分の物になるならば、どこまで阿呆《あほう》になっていても辛抱できるだけ辛抱する気で、婆さんが、どんなに偉そうなことをいったり、凄まじい気焔《きえん》を吐いても、ただ「へいへい」して、じっと小さくなってそこに坐っていた。そして、今のこのざまが、見も知らぬ人間の前でなかったならば、自分にはとても、こうして我慢していられないであろうと思うと、それが東京と遠く離れた京都の土地であるのが、せめてもの幸いであった。婆さんはむずかしそうな顔をして膳《ぜん》の上の肴《さかな》をつつきながら、ぶつぶつひとり言をいうように、
「まだどこのどなたとも一向お名前も承わりまへんけど、出ている者に金を取られるということは、世間に何ぼもあるならいどすよって、……茶屋の行燈《あんどん》には何と書いておす、え、金を取ると書いておす。こうお見受けしたところ、あんたはんも、まんざら物の出来《でけ》んお方でもおへんやろ。向うは人を騙《だま》さにゃ商売が成り立ちまへん。それを知って騙されるのはこちらの不覚。それをまた騙されんようでは、遊びに往ても面白うない。出ていた者が引いた後まで、馴染《なじ》みのお客やからいうて、一々義理を立てていては、今日その身が立ちまへん。……どこのどなたはんかまだお名前も知りまへんが、こりゃあ、わるい御量見や」婆さんは一語一語にもっともらしゅう力を籠めて説諭するようにいう。
 私は、まだ名前を承わらぬと、厭味《いやみ》をいわれたので、それにはいささか当惑しながら、
「それは、まったく私の不行届きでした。ついこんどのことに心を取り乱して申し忘れていました。私はなにがしと申す者でございまして、生国はどこですが、もう長く東京に住んでおります」そういって初めて本名を語ると、婆さんはどこまでも皮肉らしく、
「いや、それを承わっても私どもには御用のないお方でございますやろけど」と、酒盃を口にあてながらわざと切り口上に言って、
「さだめしあんたはんにも親御たちがござりますやろ。わたくしのところにも、役には立ちまへんが、あのとおりまだ若い伜が一人ごわります。もうこの間から、あんたはんのおいでやすとこを見るにつけ、私
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