ら、中から潜戸を閉めておいて狭い通り庭をずっと奥へ進むと、茶の間と表の間との境になっている薄暗い中戸のところに、そこまで客を送り出したものと見えて女がひとりで立っている。
 そして出し抜けに私がはいって来たのを見て、
「ああ!」と慴《おび》えたように中声を発して、そのままそこに立ち竦《すく》んだ。
 私は、いい気味だというように強《し》いて笑いながら、
「お園さん、一遍あんたに会いたいと思っていたのだ」と、つとめて優しくいいつつ、私はそのまま茶の間へ上がって、火鉢の手前にどっかと坐ってしまった。
 女はそこらをかたづけていたらしかったが、もう、おずおずしながらしかたなく自分も上にあがって、向うの方に膝《ひざ》を突きながら、
「あんたはんが今ここへ来ておくれやしたんでは、私、どない言うてええかわかりまへん」と悄然《しおしお》としてふるえ声にいう。その眼は何ともいえない悲痛な色をして私を見ている。
 私は、気味がいいやら、可愛いやらである。
 そこへ、がらがらと表の潜戸の開く音がして、母親が戻って来た。

     三

 私は、入って来た時、よっぽど、あの潜戸の猿を落して、母親に閉め出しを食わしてやろうかと思ったが、それも、あんまり意地が悪いようで、それまでにはし得なかった。それというのも、そうまでになっても、私の心の内は、やっぱり何とかして、母子《おやこ》の心が、自分の方へ向いてくるように優しく仕向けたいからであった。
 母親は通り庭から中の茶の間の前に入ってくると、思いがけなく、火鉢の向うに私が来て坐っているのを見ると、びっくりしてたちまち狂気のようになって怒り出した。
「あんたはん、何でここの家《うち》へ入っておいでやした。ここは私の家《うち》とちがいます」と、いいながら上《あが》り框《かまち》をあがって、娘に向って、
「お前もどうしてるのや、よう気いおつけんか。あんたが入れたんやろ」と、小言をいう。娘はじっとそこに坐ったまま、
「わたし、そんなことをしいしまへん。この方が自分で入っておいでやした」と尋常な調子でいっている。
 私はじっと両腕を組んで、その場の光景を見ながら、母親から何といわれても、ふてぶてしく黙り込んで、身動きもせずに坐っていた。すると、母親は、さすがに手出しはし得なかったが、今にも打ちかかって来そうな気勢《けはい》で、まるで病犬が吠《ほ》えつ
前へ 次へ
全50ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
近松 秋江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング