長火鉢によりかかりながら彼女が独りきりでいつかの絽刺しをしているのが見える。そして身体が三分の一ばかり手前の襖に隠れているので、その蔭に母親もいるのか分らない。とにかく静かで、ただ絽刺しの針を運ぶ指先が動いているだけである。こちらが窓に伸び上っている物音でも聞えたら、ついと振り向きそうであるが、それも聞えぬのか、まるで石像のように静かにしている。ついでに内の中の様子を見ると、この間は気がつかなかったが、すぐ取付きの表の間には壁の隅《すみ》に二枚折りの銀屏風《ぎんびょうぶ》を立て、上り口に向いたところにはまた金地の衝立《ついたて》などを置いてある。
「あんな、いろんな家具などを買い込んでいる」と、それに何となく嫉妬《しっと》を感じながら、心|急《せ》き急《せ》きなおよく見ると、内は三間と思われて茶の間のも一つ奥が一枚襖を開いたところから、そちらは明るく見えている。そしてそこに寝床を敷いてあるのが半分ほど見えている。私は神経が凝結したようになってそちらを、なおじっと見ると、木賊色《とくさいろ》の木綿ではあるが、ふかふかと綿の入った敷蒲団を二、三枚も重ねて敷き、そのうえに襟のところに真白い布を当てた同じ色の厚い掛蒲団を二枚重ねて、それをまん中からはね返して、もう寝さえすればよいようにしてある。そちらの座敷が明るいので、よく見える。私はもう身体中の血が沸き返るようである。
「旦那《だんな》が来ているのだろうか?」と、小頸《こくび》を傾けてみた。
旦那らしい者があると思って見るさえ、何とも言えない不快な気持がするが、いかに欲目でそんなものはないと思おうとしても家《うち》の中の様子では、それがあることは確かである。はたして自分の他にまだそんな者があって、今その世話でこうなっているとすれば、どう、自分の身びいきという立場を離れて考えても不埒《ふらち》である。たとい売女《ばいた》にしても、容易にそんなことが出来るわけのものではない。しかしそれは彼女の自分の意思でそうなったものか? 本人の心底をよく訊《き》いてみなければならぬが、二、三日前の夜ちょっと顔を覗《のぞ》けた時、すげなく硝子戸を閉めたことと言い、そののちこうして硝子戸を開かなくしたことなどを思い合わしても女には私のことにぷっつり気がなくなってしまったのではなかろうか? 何とかしてこちらの懊悩《やきやき》している胸の中を立ち
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