みんな売ってしまいましたのどす。人のために災難に罹《かか》って、持ってた物を悉皆《しっかい》取られても足りまへんので、この子にとうとうこんなところへ出てもらわんならんようになってしまいました」母親の悲しそうな愚痴がまた始まった。
「こっちゃへ来てからかて、来た当座にはまだ大分持っていましたえ」
「あんたはん、この子何でも人さんに物を上げるのんが好きどすさかい、今のとこへ来た時、あんなところへ来るような人皆な困った末の人たちどすよって、ひどい人やと、それこそ着たままの人がおすさかい、なんでも好きなもんお着やすちゅうて、持ったもの皆な上げてしまいましたのどす」
「初めてそこへ来た時わたし、人が恐《こお》うおしたえ」
「それはそうだったろう。ずぶの世間知らずが、どっちを向いても性の知れない者ばかりのところへ入って来たのだから。……それでも体さえ無事でいればまた先きで好いこともある」
「ほんまに体一つ残っているだけどっせ」彼女はそういって笑った。「残っているのは、あの古い長火鉢と、あの掛硯《かけすずり》だけどす」
 私はまたそこらを見廻した。箪笥の上には、いろんな細々《こまごま》した物を行儀よく並べていたが、そこには小さい仏壇もあった。私はそれに目をつけて、
「あの仏壇は?」
「あれも新しいのどす。お母はん、こっちゃへ来る時古い仏壇を売るのが惜しゅうて」女はそういってまた柔和に笑った。
 私も笑いながら立ち上って、その小さな仏壇の扉を開けて中に祀《まつ》ってあるものをのぞいて見た。一番中央に母子の者の最も悲しい追憶となっている、五、六年前に亡《な》くなった弟の小さい位牌《いはい》が立っている。そして、その脇には小さい阿弥陀《あみだ》様が立っていられる。私は何気なく、手を差し伸べてそれを取ってみようとすると、その背後《うしろ》に隠したように凭《も》たせかけてあった二枚の写真が倒れたので、阿弥陀様よりもその方を手に取り出してよく見ると、それは、どうやら、女の死んだ父親でも、また愛していた弟の面影でもないらしい。一つは立派な洋服姿の見たところ四十|恰好《かっこう》の男で、も一枚の方は羽織袴《はおりはかま》を着けて鼻の下に短い髭《ひげ》を生《は》やした三十ぐらいの男の立姿である。私はそれを手に持ったまま、
「おい、これはどうした人?」と、女の着物を畳んでいる背後《うしろ》から低い声をかけた。
 すると女は、すぐこちらを振り顧《かえ》りながら立って来て、「そんなもん見てはいけまへん」と、むっとしたように私の手からそれらの写真を奪いとった。



底本:「日本の文学8 田山花袋・岩野泡鳴・近松秋江」中央公論社
   1970(昭和45)年5月5日初版発行
入力:久保あきら
校正:松永正敏
2001年6月4日公開
2001年7月2日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全6ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
近松 秋江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング