心当りの落着きのよさそうな旅館を志して上京《かみぎょう》の方をたずねて歩いたが、どうも思わしいところがなく、そうしているうちに秋の日は早くも暮れて、大分蒸すと思っていると、曇った灰色の空からは大粒の雨がぽつりぽつりと落ちてきた。
 どこか親し味のある取扱いをして泊めてくれるようなところはないだろうか。女はなぜ、あの二階借りの住居を畳んでしまっただろう。自分は、五月から六月にかけて一カ月ばかり彼女のところにいる間に健康を増して、いくらか体《からだ》に肉が付いたくらいであった。しかし、もうあそこにいないと言えば、これから行ってみたところでしかたもない。母親はどこにいるのだろう。もっとも女に逢《あ》おうとおもえば、すぐにでも会えないことはないが、そうして逢うのは、つまらない。
 そんなことを考えながら、ともかくも、これからしばらくゆっくり滞泊するところが求めたいと思ったけれど、そのほかに心あたりもなく、しかたなくまた奥まったところから、電車の通っている方へ出てくると、その電車はちょうど先《せん》に女のいたところの方にゆく電車であったので、今はそこにいてもいなくても、やっぱりそっちの方へ引き着
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