。堅田からそれまで四時間の間飽くことを知らぬ美しい山水を眺めつゞけにして來たのであるが、丁度活動寫眞などを餘り熱心に見てゐると、後で頭痛がしたり精神が疲勞したりすると同じやうに、知らぬ間にひどく神經を使つたと思はれて、さうなくてさへ先達つて京都にゐて二度ばかり劇しい腦貧血を惱んだ後なので、竹生島の棧橋に上陸するとともに頻りに生欠伸が連發して頭が痛み、何とも云へない不快な心持ちになつて來た。その晩は竹生島の寺に一泊するつもりであつたので、ともかく寺務所の一室に通されて暫らく休息した上で、觀音堂や都久夫須麻《つくぶすま》神社などを一順參拜した。いづれも太閤の桃山御殿の一部を移したものとかで、壯麗なる蒔繪の天井や柱が年を經て剥落してゐる。すこし良くなつたと思つた心持がまた前に倍して惡くなつてきたので、觀るのはいい加減にしてまた寺務所の一室に戻つて來て外套にくるまつたまゝ仰けに寢てゐた。頭は壓し潰されるやうに痛む。胸は嘔氣を催ほして少しでも頭を動かすことが出來ぬ。氣も遠くなるやうな心持になつてゐた。そして若し此のまゝ腦溢血にでもなつて死んだらどうなるだらうなどといふやうな雜念が湧いて起つた。そ
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