がそれである。そこまで來るともう今まで長い間見て來た比良岳も斜に後に退いて、綿帽子を着けたやうな主峰のみが嚴かに聳えてゐるのが遠く眺められるばかりである。明神岬の鼻を一寸※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]ると大溝の町が水に臨んで立つてゐる。そこから琵琶湖の岸に沿ふて近江國の西北端になつてゐる高島郡の平野が安曇《あど》川を挾んで濶けてゐる。近江聖人の邸址で知られた青柳村の藤樹書院も大溝の港から半道ばかり北に行つた處に在る。明神岬の鬱蒼たる森に至つて盡きてゐる比良の支脈を後にしてから船はやゝ山の眺望から遠ざかつて安曇川の河口に擴がつてゐる平洲を左舷に見て進んでゆくが、それでも比良岳がそのまゝ一直線に北に向つて伸びて出來てゐる蛇谷峰、阿彌陀山などの相應な高度を示してゐる山巒が安曇川流域の平野の果てに屏立して左舷の遠望に景致を添へてゐる。それは丁度二時頃の日盛りで強い日光に照りつけられてゐる其等の山巒には多量の雨氣を含んだ薄墨色の水蒸氣が纏うて眼を威脅するやうに險しい表情をしてゐる。
 竹生島《ちくぶしま》は大分遠くから見えてゐたが、その邊まで來ると、一層明かに青い水の上に浮んでゐるの
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