り》は、まだ日も暮れぬのに、緊《かた》く閉《し》めきって、留守かと思うほどひっそりしている。
「もしもし、御免なさい」二、三度声をかけると、やがて、内から、
「どなたはんどす?」という声がする。たしかに母親の声である。じゃ、この家がそれにちがいなかったと思いながら、
「私です、わたしです」と自分の名をいうと、母親はそうっと、五、六寸潜戸を開《あ》けて、内から胡散《うさん》そうに外を窺《のぞ》いて見たが、そこには私が突っ立っているので、
「ああ、あんたはんどすか」と、気まずい顔をしていいながら、がらりと潜戸を開けて外に出るや否や身体《からだ》で入口に立ち塞《ふさ》がるような恰好《かっこう》をして、後手にぴしゃりと潜戸を閉めてしまった。
 そして五歩六歩入口を遠ざかりながら、
「あんたはん、私がここに来ているのがよう分りました。どなたにお訊きやした?……ここは人さんのお家どすよって。私ちょっと雇われて来ていますのどす」というようなことを、弁解がましくいいつつ、なるたけ私を家の前から遠ざけるように、路次を出ようとする。
 私は、つい一と月ばかり前時々会っていた時と打って変ったようなその、あま
前へ 次へ
全89ページ中59ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
近松 秋江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング