近処の家まで出ていって、また彼女のいた祇園町の家へ電話を掛けてみた。
すると、初めはやっぱりさっきと同じことをいっていたが、こちらの名を明かして、実は、さっきそちらの前を通りかかって、ふと見ると、藤村の名札が取れているのを見てはじめて気がついたのであるといって、
「留守じゃない、もうあんたの家にはいないんだろう」
と訊ねると向うの婢衆《おなごしゅ》は、
「ほんならちょっと待ってくれやす」といって、しばらくして今度は変った、すこし年をとった女の声で、
「藤村さんは、もう内にいやはりゃしまへんのどっせ」という。
「どうしていなくなったの。だれかお客さんに引かされたの?」
「さあ、わたし、そんなこと、どや、よう知りまへんけど、病気でもうとうに引かはりました」
「そして、病気で廃めて、藤村さんのおかあさんが連れて去《い》ったの?」
「ちがいます。小父さんが来て連れていかはりました」
小父さんが来て連れて往った。どんな小父さんか知れたものじゃないと思ったが、それ以上、電話でそんな婢衆などに訊いても委しいことの知られようわけもなく、また真実のことをいって明かすはずもないと思って、私はそれで電話
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