らしい気持ちのしたことはついぞ一度もなかったのに、加藤の家の老人《としより》夫婦の物堅い気楽そうな年越しの支度《したく》を見て、私は自分の心までが稀《めず》らしく正月らしい晴れやかな気持ちになった。
 そして翌日《あくるひ》の大晦日《おおみそか》には日の暮れるのをまちかねてまた清月に出かけた。お宮の来るのを待って一緒に人形町の通りをぞろぞろ見て歩いた。
「わたし扱帯《しご》が一つ欲《ほ》しいの。あなた買ってくれる?」お宮は眩《まぶ》しいばかりに飾った半襟屋《はんえりや》の店頭《みせさき》に立ちどまってそこに懸《か》けつらねた細くけを捻《ひね》りながらいった。
「うむ」と、私は鷹揚《おうよう》にうなずいた。
「じゃ、あの松ちゃんにもこの細くけを一つ買ってやってもよくって」
「うむ」
「何かうまい物を買っていって、食べようじゃないか」
「うむ」
 十日ばかりというもの風ほこりも立たず雨も降らず小春といってもないほど暖《あった》かな天気のつづいた今年の年暮《くれ》は見るから景気だって、今宵かぎりに売れ残った松飾りや橙《だいだい》が見ているうちにどんどんなくなってゆく。
 そうして軒から軒を見
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