し》ゃいでいる。私は浅ましく思ってきいていた。
 やがてお宮は先《せん》のままの風で降りて来て、
「私もうこのままで行くわ!」この間のめりんすの綿入れの上に羽織だけいつものお召を引っかけている。
「そのままでいいとも」
 主婦《おかみ》は、「御夫婦で仲よう行っていらっしゃいまし」と、煙草《たばこ》を並べた店頭まで送り出した。
 街路《そと》はぞろぞろと身動きもならぬほどの人通りである。
「どっち行くの」お宮はいつもの行儀の悪い悪戯娘《いたずらもの》のような風の口をきいた。
「さあ、どっち行こう。あんまり人の通っていない方がいい」
 私は、人眼のない薄暗い横丁をお宮と二人きりで手と手を握り合って歩いて見たかった。
「もっと人の通っていない方に行って見よう。材木町の河岸《かし》の方にでも」
「あんなところ歩いたってしょうがないさ」お宮は歯が痛むといって、頬を抑《おさ》えながら怒ったようにいった。
「じゃどこを歩くの?」
「どこってどこでも」
「そんなことをいったって仕方がない。お前はどこへ行きたいんだ」
「私はどこへも行きたかない」
「じゃ行くのが厭《いや》なの」
「いやじゃないさ」また怒
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