のだ」
先だってから、
「私コ―トが欲しい。あなた表だけ買って下さい。裏は自分でするから」
といっていた。私はお前と足掛け七年一緒にいたけれどコート一枚拵えてはやらなかった。それに三、四度逢ったばかりの蠣穀町の売女風情《ばいたふぜい》に探切立てをしていくら安物とはいいながら女の言うがままにコートを買ってやるなんて、どうしてそんな気になったろうかと、自分でも阿呆《あほう》のようでもあり、またおかしくもなって考えて見た。そうすると先き立つものは涙だ。
「ああ、おすまには済まなかった。七年の間ろくろく着物を一枚着せず、いつも襷掛《たすきがけ》けの水仕業《みずしわざ》ばかりさせていた」
そう思うと、売女《おんな》にたった十五円ばかりのコートの表を一反買ってやるにしても、お前に対して済まないことをするようで気が咎《とが》めたけれど、また
「俺《わし》が、蔭《かげ》でこんなに独《ひと》りの心で、ああ彼女《あれ》には済まない。と思っているのをも知らないで、九月の末に姿を隠したきり私のところには足踏みもしないのだ。あんまりな奴だ。……あんまりひどいことをする奴だ。……ナニ構うものか、お宮にコート
前へ
次へ
全100ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
近松 秋江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング