なことは綺麗だったよ」
さすがに柳沢も思い入ったようにいった。
私は、それを聴いていて胸が塞がるような気がした。私がわずかばかりの銭《かね》の工面をして、お宮にただ逢《あ》うのでさえ精一ぱいでいるのに柳沢はもうお宮とそんな小説の中の人間のような楽しい筋を運んでいるかと思うと、世の中のものが何もかも私を虐《しいた》げているような悲痛な怨恨《うらみ》が胸の底に波立つようにこみあげて来た。そうしてよそ目には気抜けのしたもののように呆然《ぼんやり》として自分一人のことに思い耽《ふけ》っていた。すると自分が耐力《たあい》もなく可哀《かわい》そうになって来て、今にも泣き溢《こぼ》れそうになるのをじっと呑《の》み込むように抑えていた。
ややしばらく経《た》ってから取着手《とって》もない時分になって、
「歌舞伎座にもつれて行ったのか!」と、曖昧《あいまい》な勢《せい》のない声を出した。
「その帰途《かえり》に鳥安にいったのだ」
そして私は腹の中で、先日お宮が、
「書生らしい、厭味のない人よ。鳥安を出てから浅草橋のところまで一緒に歩いて行ったの。『僕はここから帰る。電車賃だ』と、いって十銭銀貨を
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