そういう経験のない者にはわかるものでもないから、私はただそういったまままた黙り込んでしまった。
「お宮が、雪岡さんを見ると気の毒な気がする。と、いっていた」
 柳沢は、またそういって笑った。
「…………」私はしょげたように黙って笑っていた。
「……今日はお宮いるか知らん。……これからいって見ようか……」
 柳沢は私を戯弄《からか》うのか、それとも口では何でもなくいっていても、その実自分で大いにお宮に気があるのか、あるいはまた影の薄い私が思うようにお宮の顔を見ることが出来ぬのを惨めに思って、お勝手口の塵埃箱《ごみばこ》に魚の骨をうっちゃりに出たついで、そこに犬のいるのを見て、そっちへ骨を投げてやるように、連れていってお宮に逢わしてやろうというお情けかと、私はちょっと考えたが、それはどちらにしたって構わない、とにかく柳沢とお宮と一座したら、両方にどんな様子が見られるか、柳沢にはお宮が好いのには違いない。そう思案すると、
「ああ、行ってもいい」
 これから二人はややしばらく気の置けない雑談に時を過しながら点燈《ひともし》ごろから蠣殻町に出かけていった。
 柳沢は歳暮《くれ》にしこたま入った銭
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