くない。そう思って根よく待っていると、お宮は笑顔を作りつつ降りて来た。
「じゃ手紙をお返ししますから私の家に来て下さいって。自家の主婦さんが」
「自家の主婦さんて、お前んとこの主婦さんに何も用はない」
そういいつつ私は一軒置いた先のお宮の家に入って行った。
長火鉢の向うに坐っていた主婦はものものしい顔にわざとらしい微笑《えみ》を浮べて、
「一体どうしたんです?」と呆《あき》れた風の顔をして私の顔を見上げた。
座には主婦のほかに女中のお清、お宮と同じ仲間のお菊、お芳、おしげなどが方々に坐っていて、入っていった私の顔をじろじろと黙って見守っている。
「なに、どうもしやあしないさ。私もうお宮さんのところに来ないから、私からよこしている手紙をもらって行こうと思って」
「つまらない。どうしてそんなことをするんです?……若い人たちのすることは私にはわからない」
「そんなことはどうでもいいんだ。私もこのとおり今まで貰《もら》っていた手紙を持って来た。これを戻すんです」
そこへお宮は二階から金唐紙《きんからかみ》の小さい函《はこ》を持って降りて来た。その中には手紙が一ぱい入っている。
そして茶の間の真中にこちらに尻を向けて坐りながら、
「さあ、こんなものがそんなに欲しけりゃあいくらでも返してやる」と、山のような手紙の中から私の手紙を選《え》り分けて後向きに叩《たた》きつけた。
「さあ、これもそうだ! ありったけ返してやるから持って行け」
私は長火鉢の前に坐って、それを横眼に見ながら笑っていた。
お宮は七、八本の手紙をそこに投げ出しておいて、
「あんまり人に惚《ほ》れ過ぎるからそんな態《ざま》を見るんだ」といいつつ二階に駆け上って、函を置いて降りて来ると、
「こんなところに用はない。柳沢さんのところに早くゆこう」と、棄《す》て科《ぜりふ》をいって裏口から出ていった。
私は、黙って笑っていた。
「一体どうしたんです?」主婦は笑いながらまた同じことをいった。
私は腹の中でこの畜生め、何もかも知っていやあがるくせに白ばくれていやあがる。と思いながら、
「いや何でもない。この手紙さえ戻してもらえば私には何にも文句はないんです」わざと静かにいって、お宮の投げ出して行った手紙を取り上げて懐中《ふところ》に収めた。
そこへお宮はまた戻って来て、座敷に突っ立ちながら、
「柳沢さん
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