が、ちょっと雪岡さんに用があるから来て下さいって。……でも卑怯者《ひきょうもの》だから、よう来ないだろうって」
 それを聴くと私はグッと癪《しゃく》に障《さわ》った。そして長火鉢に挿《さ》してあった鉄火箸《てつひばし》をぎゅうと握りしめて座り直りながら大きな声で、
「なんだ? 卑怯者だ?……それは柳沢がいったことか、お前がいったことか。お前なんぞのような高等|淫売《いんばい》を対手に喧嘩《けんか》をしたかあないんだ。しかし卑怯者というのを柳沢がいったなら、卑怯者か卑怯者でないか、柳沢と喧嘩をして見せよう」
 するとお宮は私が本気になったのを見て折れたように笑いながら、
「卑怯者とは私がいったの。柳沢さんはそんなことをしやあしない」
 と、にわかに声を和らげた。
 私も淫売《じごく》のことで柳沢と喧嘩をするでもあるまいと、胸を撫《な》でながら家外《そと》に出た。



底本:「日本の文学 8 田山花袋・岩野泡鳴・近松秋江」中央公論社
   1970(昭和45)年5月5日初版発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:久保あきら
校正:松永正敏
2001年1月30日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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