ったようにいう。
「そうか。じゃもっと歩きいい静かなところをゆこうよ」私はまた横丁に曲りかけた。
「そっち厭!」
「じゃどっちだい?」
お宮のふてぶてしい駄々《だだ》ッ児《こ》を見たような物のいい振りや態度《ようす》に、私は腹の中でむっとなった。
「どっちでもゆくさ」
「だってお前、私のゆくという方は厭だというじゃないか」
そういって、私は勝手にずんずん人形町通りの片側を歩いていった。
そうして水天宮《すいてんぐう》前の大きな四つ辻《つじ》を鎧橋《よろいばし》の方に向いて曲ると、いくらか人脚《ひとあし》が薄くなったので、頬を抑えながら後から黙って蹤《つ》いて来たお宮を待って肩を並べながら、
「宮ちゃん、さっき君の家《ところ》で階段《はしごだん》の下に突っ立っていたあの丸髷に結《い》った女《ひと》は何というの」
私は優しい声をして訊《たず》ねた。
「だれだろう? 丸髷に結っていた。……家には丸髷の人多勢いるよ」
「そうかい。いいねえ丸髷。こう背のすらりとした。よく小説本の口絵などにある、永洗《えいせん》という人が描《か》いた女のように眉毛《まみげ》のぼうっと刷《は》いたような顔の女《ひと》さ」
「ああ、そりゃ菊ちゃんだ。あなたあんな女好き?」
「ああ好きだ。いいねえ丸髷は。宮ちゃんお前も丸髷に結《ゆ》うといい」
「私|嫌《きら》い!」そういいながらお宮はついと退《の》いた。
二人はまた黙って別れ別れに歩いた。鎧橋を向うへ渡って山栗《やまぐり》の大きな石造の西洋館について右に曲ると電車の響きも絶えて、株屋町の夜は火の消えたようにひっそりとしていた。凍《い》てついた道に私たちの下駄を踏み鳴らす音が、両側の大戸を閉《し》めきった土蔵造りの建物にカランコロンとびっくりするような谺《こだま》を反《かえ》した。
私はせっかくの思いでお宮と一緒に歩いていながら、女の方が思うように自分に対して和らかに靡《なび》いて来ぬのが飽き足らなくって、こっちでも拗《す》ねた風になって、怠儀そうにして歩いてるお宮を後にしてさっさっと兜橋《かぶとばし》の方に小急ぎに歩いた。
するとお宮は「あなたどこへゆくの?」と歯をすすりながら後から声をかけた。
「ねえ、あなたどこへゆくの?……待って頂戴《ちょうだい》よ」
私はその声をきくといくらか気持よく感じながら、人通りのぱったりと途絶えた暗闇
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