でも同じです、私なぞも弓は好きでやりますが、当てやうとか形をよく見せやうとかいふ野心があつたら、到底当てることは出来ません。其の上、寝ても覚めても芸のことを考へて居る様でなければ駄目です、そうして矢張り本を読まなければいけない、私なぞもその点は始終自分を鞭打つて怠らぬ様にしてをります。

     ○

 今と昔とはどだい修業の仕方が違つてをります。噺家にでもなつたならば、良い着物を着て旨いものを食ひ朝寝もし、身体を楽にして世渡りが出来るだらうなんて了見でなつた奴は成功しつこはありません。
 昔は師匠をとりましても、師匠の芸を聴きその芸に惚れて門人になつたものですから、どんな辛い修業でも、我慢して喰ひ付いてゐたもんですが、それが前申上げた楽して世渡りをしやうといふ頭からなつた者は、芸に惚れるんぢやない、この師匠についてゐたら幾らか銭を余計とれるかしら、良い席へも出られるかしらと言ふ考へから弟子になるんですから堪りません。その師匠が少し人気でも無くなつて席へも出られなくなり、従つて収入も少くなると、今度は直ぐ他の銭のとれる師匠の所へ弟子入りをするといふ様な洵にどうも薄情な世渡りになつちま
前へ 次へ
全19ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
談洲楼 燕枝 二代 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング