訓したと言ふことです。私はその燕車といふ人に家へ来て貰つて稽古して貰ひました。
 その時分には、私は未だやつと駆け出しの二つ目から中入前にもうやがてならうかと言ふ位のもので、火事《しごと》師だつたら先づ纏持ちと言ふ様な一番辛い処です。附合ひは皆上の人と同じ様に出す、そうして取るものは十分の一しか取れないといふ様な具合でしたから、長火鉢の引出しを開けると何時も日掛けの通ひが何冊もはいつてゐる。尤も今は生活も変つて来まして幾ら貧乏してゐる噺家でも日掛けの通ひを二冊も三冊も家へ置いたと言ふ話は無くなりました。今と昔と違ふと言へば、私の時代には前座は高座で羽織を着ることが出来なかつた、今は前座が羽二重の紋付きを着て高座へ上るといふ事になつて来た。
 その一番苦しい貧乏時代の話ですが、燕車に稽古してもらつて噺が済むと、鰻丼が一つお酒が一合、そして帰へりに「これはお車代です」と言つて、今の五十銭昔は半円といつた青い札を一枚ちやんと紙にくるんで出します。「有難うございました」と礼を言つて帰へるが、これはたとへ質を置いてまでもちやんと礼を持たしてかへすと言ふやうにして居ました。其時分私は高座で声色や連
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