でやつて居ましたから、決して物に溺れるといふ事をしませんでした。例へば酒を飲むにしても一人では呑まない、附合ひで呑む、之れも世に出度いといふ一つの策略から呑むのだといふ頭を持つて居ました。
 所で芸と言ふものは一生の勉強です、これで宜いといふ限りあるものではない。そこで、何でも良い師匠に附かなくちやならないと思つて、昔の禽語楼、二代目小さん、先代の談洲楼燕枝、蔵前の師匠といつた四代目春風亭柳枝、此の人等の処に行つて始終話を教はつたり聞いたりしました。
 その時分に先代燕枝の弟子に燕車といふ老人があつて、此の人は芸は実にまあ名人でした。現に五代目菊五郎はこの燕車が好きで、始終家へ呼んで弟子と一緒に其の話を聞きます。そして菊五郎は燕車の話を聴いてゐる間は決して座布団を敷かない。芸人が芸人の芸を聴くんだから仮りにも無礼なことがあつちやならないと弟子に言ひ渡し、燕車の話を聴き終ると、どうだ!我々は鬘をつけ衣装を着、道具を飾り一人一役でさへ満足なことも出来ないのに、此の人は扇一本で此れ丈けの大勢の人間を其処へちやんと現はす、実に名人だ、お前たちも之を迂闊に伺つてゐちやいけないぞと言つて、弟子に教訓したと言ふことです。私はその燕車といふ人に家へ来て貰つて稽古して貰ひました。
 その時分には、私は未だやつと駆け出しの二つ目から中入前にもうやがてならうかと言ふ位のもので、火事《しごと》師だつたら先づ纏持ちと言ふ様な一番辛い処です。附合ひは皆上の人と同じ様に出す、そうして取るものは十分の一しか取れないといふ様な具合でしたから、長火鉢の引出しを開けると何時も日掛けの通ひが何冊もはいつてゐる。尤も今は生活も変つて来まして幾ら貧乏してゐる噺家でも日掛けの通ひを二冊も三冊も家へ置いたと言ふ話は無くなりました。今と昔と違ふと言へば、私の時代には前座は高座で羽織を着ることが出来なかつた、今は前座が羽二重の紋付きを着て高座へ上るといふ事になつて来た。
 その一番苦しい貧乏時代の話ですが、燕車に稽古してもらつて噺が済むと、鰻丼が一つお酒が一合、そして帰へりに「これはお車代です」と言つて、今の五十銭昔は半円といつた青い札を一枚ちやんと紙にくるんで出します。「有難うございました」と礼を言つて帰へるが、これはたとへ質を置いてまでもちやんと礼を持たしてかへすと言ふやうにして居ました。其時分私は高座で声色や連
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