分山水畫のつもりだらうが墨が滲んで眞黒になり、何だかさつぱり判らないのもあつた。私達はそれを一々、まづいだのうまいだの、笑ひ聲を立てたりして町を上から下まで飽きずに見て歩いた。
さういふ一週間もつゞくのは、お祭りはお祭りだが客寄せの意味もあつたことに、ずつと後で氣がついた。そこは一寸した町だが、昔から近在のお百姓達を得意にして成立つた所で、町の繁榮策として近在から人を引きつけるためだつたらしい。例の紙の花は、それを田に差して置くと蟲がつかぬといふ云ひつたへがあつて、祭の最後の日には近在のお百姓達が勝手にそれを持ち歸つてもいゝことになつてゐた。浴衣がけで尻からげにし、團扇を腰にさしたお百姓が、何だか氣まり惡げに手を伸ばして紙の花の枝を拔きとり、扱ひにくさうに持つて歸るのを私はよく見た。その云ひつたへはお百姓からではなく町の側から出したものだらう。恐く徳川時代からのことだらうが、隨分狡いことを考へたものだ。今はどうなつたらう、やはりあれを水田の傍にさし立てゝゐるだらうか。
このお祭が濟んでしばらくすると舊暦のお盆だ。そして、盆踊りがはじまるのだつた。夕方になると町のどこかゝら前觸れの太
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