を知らないのも無理はない。私の田舍では、住吉神社といふ郷社の祭を「祇園さま」と呼んでゐた。まる一週間だから、隨分永い祭だつた。町の本通りを上《かみ》から下《しも》まで十四五町か、或ひはもつと長いだらう、家ごとに柳の枝に薄い日本紙を四角に切つて造つた花をくつゝけ、樽だの桶だのゝ中に立てゝ家の前に飾つた。それには皆盆灯をつけたから、夜になると白い紙の花が明りを受けて浮き立ち、どこまでもつゞいた。
盆灯には雜誌の口繪か何かを切り拔いて貼りつけたのもあつたが、大抵はそれぞれ繪を描いたもので、子供だつた私達は一つ一つ見て歩いた。今思ふと、一體あんな繪を誰が描いたんだらうといふ氣がする。繪心があるわけでもあるまいのに、とにかくそれは妙なものは妙なものなりに子供を樂しませるに足りる繪だつた。きつと、その拙い變てこなところが面白がらせたのだらう。川柳を書いた漫畫もあれば、古池や蛙とびこむ水の音と記して傍に小さく蛙らしいのが逆立ちしてゐたり、小野道風苅茅道心、うらみ葛の葉などを現した繪もあつた。さうかと思ふと、そこの家の子供がお習字風に書いた字もあるし、智慧がなく日の丸と軍艦旗を描いたのもあつたし、多
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