てしまつた。
 彼にも機嫌のよい日がある。彼の顏からはあの憂鬱な表情が消え、長い身體をふり立てるやうにして、あちらこちらと歩きまはり、十歩ばかり走つて見、誰彼となく「今日は」と云ふ。そんなとき、近所の子供が來てゐると、彼は全く有頂天になる。よろめくやうに、忙しげに、子供たちの周圍を歩きまはつて、「そらそら、レン子ちやん」とか、「危いよ、走るところぶよ」とか叫ぶ。調子外れの喜悦の表情が、彼の黄ばんだ顏に浮ぶのである。
 こゝの家には今一人、民さんといふ四十あまりの、腦の惡い男がゐる。短躯で、禿頭で、鼻が小さく鉤形《かぎがた》に曲つてゐて、眼の輪郭がはつきりしてゐて、見てゐると彼の日に燒け土と垢で汚れた風貌の中から、何となく伊太利《イタリー》の農夫のやうな印象が現はれて來るのである。彼の表情から魯鈍を發見することはできない。彼はよく働く。六七頭の牛を、毎朝山へ放牧につれて行く。彼はそこで牛の番をしながら日を暮して、夕方になると薪を背《せお》つて、牛を追つて山から下りて來る。一日中家にゐないので僕ははじめの中彼とあまり會ふ機會がなかつた。僕は山へ放牧に行つてゐる彼をたづねて、一日寢ころんで彼の話を聞くために、三日ほどつゞけて山へ行つてゐたが、彼も牛も探しあてることができなかつた。
 ある夕方、家の裏手で山から下りて來た彼に會つたので、そのことを云ふと、彼は腕組みをして、兩脚をふんばつて、しげしげと僕を眺めながら、
「あゝ、あなたですか、下駄の跡がありました」
 と云つた。
 彼はその後、山へ出がけに必らず僕の部屋をのぞいて、涎《よだれ》の音を少したてながら、「山です、あすこの方です」ともつれるやうな口調で指してみせるのであるが、僕には一向その見當がつかないので、たうとう山へ彼を訪問することは斷念してしまつた。
 民さんはその禿頭に、青地の手拭ひでつくつた變な帽子をかぶつて出かける。山で温い日に寢ころんでゐると、牛が寄つて來て彼の禿頭をなめて目をさまさせる、と云ふ。家の人が、僕にさう話して、
「なあ、民さん、牛がなめるつちふ」と笑ひかけると、彼は全く他意のない顏で、
「可愛いゝ奴ですよ。よく知つてますよ」と眼を小さくして笑つた。
 夜なべの仕事がすむと、彼は僕の部屋へ遠慮しいしいやつて來る。そして、手紙を書いてくれ、と云ふ。彼には東京や千葉に親戚があるが、どこでも彼の來るの
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