て開き、又閉ぢしてゐるだけであつて、それも呼気《いき》の通る音が次第にうすれると、唇も弾力を失つたかのやうにぢつと静まつてしまつたが、同時に顔の皮膚一面に現はれて来た一種滑らかな、静止し、安定した表情以上の表情と云ふやうなもの、その柔く、又冷い、絶対に落ちつき切つた感じが、不思議に軍治を打ち、一種名状しがたい悔恨の情が彼の胸を疼《うづ》かせた。軍治は、居間の外で女中達の幾を呼び求める声、誰彼となく走り近づく足音を聞き乍ら、蒔の未だ温い手首を握り耳を押しあて、脈搏を探つたが、やがて、幾が走りこみ、その後から室一杯に、死者と幾と軍治の周囲にひつそりと輪を描いてゐる女中達や近所の人に気づくと、突然湧き起つた羞恥のために顔を上げることが出来ず、最早脈の消えた手首の上に何時までも顔を押しあてたまゝの格好でゐた。
 葬式も済み、急に風の落ちた後のやうな夜になり、居間で軍治は久し振りに会つた姉の卯女子と話し合つてゐた。仏壇の蝋燭をさし換へる度に、仏具が光り、姉の横顔が殊更白く浮いて見えたりした。三人の子の母親になつてゐる彼女は、昔のやうではなく、世慣れた様子で、線香の消え尽きたのにもよく気がついた。
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