女中がとび出して来たのを知ると、幾は顔を両手で押へ乍ら居間に引返し「一体どつちが悪いのか、卯女子さんの家まで聞いて貰ひに行く」と云ふ意味のことを途切れ途切れに叫び、矢庭に箪笥の引手に指をかけたが、見当もなく衣類を引張出すと、その上に俯伏《うつぶ》して肩を戦《をのゝ》かせ、身悶《みもだ》えし乍ら泣き出した。
 その次の日、軍治が何時になく和《やはら》いだ眼つきで話しかけ、この商売を止めてくれるわけには行くまいか、と言つた時には、幾は又かと云ふやうに眉をしかめたのだが、軍治は珍らしく神妙だつた。家が家らしくないこと、偶《たま》の休暇で帰つてみても昼と夜とをとりちがへた騒々しさで、絶えず客の気を兼ねてばかりゐなければならぬやうなこの商売は自分の気質に合はないこと、若し自分のためを思つてくれる気があれば止めて貰ふわけには行くまいか、など話すにしたがつて胸の迫るかして、軍治は未だ産毛《うぶげ》のある感じのする唇のあたりを引き締めるやうにし乍ら哀願した。
 こんな風に言はれてみると、それもさうだと云ふ気がするのだが、又一方では、何か自分の馴染《なじ》み知り抜いてゐる場所から引落されるやうな、底の知
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