へるほどしやんとなり、いそいそとして客の後になり先に立ちする様子を見ると、軍治はこれが幾の身についてゐるのではないかとも思はれ、又、この商売を楽しんでゐるのかも知れぬ、と疑ふのだつた。
何時誰からともなく、幾のずつと前身は町端れの煮売屋で、他人からでも名前を呼び捨てにされてゐた、と聞き覚えてゐた。「小母さんは怜悧《りかう》な人だから、自家《うち》へ来れば他人から呼び捨てにされないと、ちやんと知つてゐたんですよ」と姉からも聞いたことはあるが、さう云ふ意味の事は遠縁の老婦も言つてゐたし、幾の家へ来てからも、台所で下働きをしてゐる話し好きな老婦が問はず語りに聞かせて呉れた。その時は、なにも特別な感情を与へはしなかつたが幾や蒔の様子に何か軍治の身体の底の方で喰ひ違ひ、時には歯の軋《きし》むやうな嫌らしさを起させる所があるのを感じたりするいまでは、それ等の智識が特別な意味で軍治の頭に蘇《よみが》へるのだつた。
幾の手に引かれ、身の廻りの世話をして貰つた記憶はまざまざと今も残つてゐるのだが、その親身な感じで今の幾を見ると、これがあの幾だつたのか、と云ふ気がした。ここ数年間幾はたゞ客の方に気をと
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