けて止めた。
 民子が胸を突かれながらも
「そんな気の弱いことではいけません」となぐさめると、卯女子も傍へ寄つて来て母の顔をのぞいたが、松根は枕の上で顔をそむけた。
 病気が重いと云ふことを誰から聞いたのか、それまで一度も家へは足を入れたことのない幾が見舞にやつて来た時には、卯女子だけが居合せた。幾はそれでも遠慮して姿は見せないで女中の口から見舞に来たとつたへて貰つた。卯女子はどうしていゝか解らないので、そのまゝ通じると母は頷《うなづ》いた。
 卯女子が幾を見たのはその時が始めてなのであつたが、幾は想像してゐたよりもずつと小柄で、白粉気などはなく、おづおづと卯女子に挨拶して病室に通つたのが、まるで噂に聞いた幾とは思へないほどであつた。
 民子は後でそれを知つた時には思はず眉をしかめたが
「多少は悪いと思つてるんでせうよ」と云ひながらも憎めない気がした。
 しかし母がある時ふいに嗄《しはが》れ声で民子に呼びかけ、民子がのぞきこむと母はぢつと民子の眼の中に見入つてゐるだけで何も云はない、その奇妙にはりつめた瞬間を、民子は母が幾のことを言ひたくて口に出せないのだ、と感じとつた。
「安心なさいましよ、後は私が見てゐますからね」と民子は涙声で言つた。母は頷いたとも見える様子でそのまゝ睡むたげに眼を閉ぢたのであるが、民子は母がやはり自分の言葉に安心したと信じて疑はないのである。
 それだけに母の死後半年位たつた頃、それまで何時出るか、と思つてゐた話しが父から持出された時には、民子は無理にもその日のことを思出してみ、心を引きしめたのであつた。幾を後妻に入れると云ふのである。
 沁《し》み沁《じ》みと父の話を聞いてみると、やはり父には父の言分があるので、真向から反対はできないと云ふ気もしたのではあるが、一人になると、これでは母に済まないと云ふ感情が無暗《むやみ》に突き上げて来た。それに、父の話しやうも相談と云ふよりは頭からきめてかゝつたところのあるのが思ひかへされると、自分は現在他家に嫁いでゐる身ではあるが、母のゐない後では自分が母の代りのやうなものでもあるのだからもう少しは遠慮と云ふものがあつてもいゝし、又遠慮されてもいゝほど自分は娘ながらに多少は分別のある年になつてゐるのだ、などと考へられもした。さう思へば話しの嫌な部分ばかりが頭に来て、どんなことがあつてもこれだけは父の言ふな
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