女中がとび出して来たのを知ると、幾は顔を両手で押へ乍ら居間に引返し「一体どつちが悪いのか、卯女子さんの家まで聞いて貰ひに行く」と云ふ意味のことを途切れ途切れに叫び、矢庭に箪笥の引手に指をかけたが、見当もなく衣類を引張出すと、その上に俯伏《うつぶ》して肩を戦《をのゝ》かせ、身悶《みもだ》えし乍ら泣き出した。
 その次の日、軍治が何時になく和《やはら》いだ眼つきで話しかけ、この商売を止めてくれるわけには行くまいか、と言つた時には、幾は又かと云ふやうに眉をしかめたのだが、軍治は珍らしく神妙だつた。家が家らしくないこと、偶《たま》の休暇で帰つてみても昼と夜とをとりちがへた騒々しさで、絶えず客の気を兼ねてばかりゐなければならぬやうなこの商売は自分の気質に合はないこと、若し自分のためを思つてくれる気があれば止めて貰ふわけには行くまいか、など話すにしたがつて胸の迫るかして、軍治は未だ産毛《うぶげ》のある感じのする唇のあたりを引き締めるやうにし乍ら哀願した。
 こんな風に言はれてみると、それもさうだと云ふ気がするのだが、又一方では、何か自分の馴染《なじ》み知り抜いてゐる場所から引落されるやうな、底の知れぬ不安な感情も湧いて、幾は当惑し、顔を曇らせてゐたが、何とか言はねばならぬ気がして、それほどなら、と、口に出しかけた。軍治は見上げ、ぱつと明るさを顔に閃《ひら》めかした。幾は黙つて自分の手許に眼を落してゐたが、軍治に見つめられてゐると思へば、猶のこと心苦しくなり、やがて苦痛の感じを身体一杯に現はすと、それなり口を噤《つぐ》んでしまつた。
 実際幾はかう云ふ種類の商売は娘の時分から慣れて来たものであり、殊に今は歳が歳だつたから、止めると云ふことは頭で解つても事実の感じが身に迫ると、唯空恐しい気持に脅かされるのだつた。軍治の鳥羽家風の気質がだんだん拡がり出て来るのが重荷でもあり、又、憎々しい気さへした。
 それを又、軍治の方では、情ないと云ふ気の裏から、幾の気持を右から見左から見して詮索し、向うがその気なら此方だつて考へがあるのだぞ、と云ふ風に底冷い様子を身体つきに滲《にじ》ませるのだつた。

 中学も後一年で済むと云ふ時、夏休過ぎて家を立去つた軍治は一月余りで突然帰つて来た。肺尖加答児《はいせんカタル》で、医者から休学を勧められた、と言つた。肺、と云ふ言葉で、幾は顔にこそ出さなかつたが
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