したこともある。幾もその母に向つては腹を立ててみせたりするのである。しかし、二人が心から言ひ合ひをするのでないとは、卯女子にも見てとれた。
蒔は幾にたしなめられても構はずに卯女子を捕へて、自分がどんなに鳥羽の恩をうけてゐるか又そのためには今までの商売もやめる気になつたのだなどと、いよいよその決心になつたまでの自分と幾との話の模様まで細かく話して聞かせるのだつた。
卯女子は始めの中こそ気恥しくもあり、当惑しながら聞いてゐたが、今ではその話しにも慣れたやうに、やはり下手に出る相手の仕方にも慣れたのであらうか。それとも、今は記憶も薄らぎはじめた母親が、実は頭の底深く沈んでゐて、その生前見聞きしてゐた幾への反感が形を変へて今頃出て来たのであらうか。卯女子は幾の動作の気に入らない部分が眼につくと、露骨に眉をしかめるやうになつたし、又それがあたり前のことになつて来た。
弟達については、もともと母の生前から卯女子が面倒を見てゐたのだから、幾が来ても、別にその点変りはないのだが、それでも弟達の寝床をのべてやつたり、末の軍治を寝かしつけてやつたりする卯女子の様子には、以前とはちがつた何かが加はつてゐるのだつた。言つてみれば、これだけは誰にも指一本だつて触れさせないと云ふ感じがあつた。それが今では卯女子の様子に底意地の悪い感じを加へて来たが、当の卯女子にしても、幾にしてもそれを普通のことにしてゐるのであつた。
しかし、幼くてそれだけに敏感な弟達には、眼に触れる姉と幾との感じが頭の中に特別な形を植ゑつけるのである。もう中学校へ上るやうになつた長男の竜一はとにかく、次の昌平と軍治は、姉や父の口真似をして幾を叱りつけることもあつた。
覚悟はしてゐた積りだつたが、幾も子供達から「小母さん」と呼ばれたときには、流石《さすが》にあまりいゝ気持はしなかつたのである。誰がさう呼ぶやうに教へこんだのか、幾は考えてみようともしなかつたし、又、それも仕方はないことなのだつた。底を割れば鳥羽から離れ難いからではあつたが、いろいろと親身になつて面倒を見てくれた鳥羽に対し、また鳥羽の妻に対し何故かさうしなければならぬ義理と云ふやうなものを感じてゐたのである。それには商売はやつてゐても親子二人ぎりで、別にこれと云ふ縁辺もない心細さは沁々と身にこたへてゐたのだから、いつそのこと鳥羽に頼り切れば又先々の路は開
前へ
次へ
全26ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田畑 修一郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング